🍉しいたげられたしいたけ

NO WAR! 戦争反対!Ceasefire Now! 一刻も早い停戦を!

ニュージーランド短期語学留学4日目=スクール3日目&アクティビティ初参加

3日目のエントリー に、ネイティブ講師の配慮してくれた英語なら聞き取れるが、留学生のブロークンな英語やビデオ、Youtubeなどの割れた音は聞き取れないのが、現状での私の英語力の限界なのだろうと書きました。それに対して、コメントやブックマークコメントで助言をいただきました。ありがとうございました。

時系列的には先走ることになりますが、実はこの件に関しては、私なりに「こうしてみよう」という解決案を抱いています。

ディズニーアニメを字幕なしでガンガン観てやろう、と決意したのです。

きっかけは、帰りの飛行機の中で『モアナと伝説の海』を観たことでした。残念ながら字幕付きではありませんでした。ご存知の通り、機内での音響環境は、決していいものではありません。セリフの半分も聞き取れたような気がしませんでした。

しかし、ストーリーは、だいたい理解できたような気がしたのす。なにより主観的には十分楽しめたのです!

リスニング力の向上は量をこなすこと、つまりたくさん聴くこと、この原則はわかっているつもりです。ですが問題は、集中力が続かないことなんですよね。

3日目のエントリーに、ドイツから来た若い留学生の、遅刻したり私語をしたりぷいと教室から出て行ってしまったりといったフリーダムっぷりを書きました。ああ、これは集中力が続かないのだな、ということが、傍で見ていてありありとわかりました。

しかし集中力が続かないことは、私も五十歩百歩と言えます。日本で通っていたスクールは1コマ45分という短いものでしたが、慣れない間はその45分も長く感じられました。今でも残り時間は気になります。

英語の音声教材は、DVDもネットもいくらでもあります。しかし量を聴き続けるよう自分に強いるのが難行なのです。そもそも留学しようと思い立ったのも、逃げ場をなくしてみようという試みの側面がありました。

ディズニーアニメであれば、映像自体の楽しさ、美しさが、2時間近くの間、集中力を途切れさせない助けになってくれるのではと期待するのです。入手は困難でなく、本数も十分にあります。教材としてはいろいろな意味で理想的と言えるかも知れません。

しかし何でもやることが遅いのが私の悪いところで、帰国したらさっそく何か観るぞ、と思いながら、なんやかんやで他にやることが溜まっており、まだ始めていません… 

モアナと伝説の海 (字幕版)
 

現地スクールは、水曜日から週末まで、レッスン以外にアクティビティというのがある。4日目=スクール3日目は、それに初参加した。実費のみ参加者負担で、講師の引率により、スクールに近い観光スポットや施設に遊びに行くというもの。ま、遠足だ。

一か月単位の予定表をもらえる。この日の予定表には “House of Mirrors at Silo Park” とだけ書いてあった。これでは何のことかわからない。当たって砕けろで参加してみた。取って食われることはあるまい。

生徒はスクール全体では70人以上いるとのことだが、アクティビティの参加者はだいたい10人程度のようである。この日はなぜか参加予定者が少なく、しかも私以外の予定者がランチにいくとかでキャンセルしてしまい、講師とのマンツーマンになった。

講師は20代後半か30代くらいの若い女性だった。アメリカのテネシー州メンフィス出身とのことで、純朴そうな印象だった。「英語うまいですね」と言ってくれた。エルヴィス・プレスリーやB.B.キングがメンフィスから世に出たこと、ジャック・ダニエルズがテネシー州にあることなど、故郷のことをいっぱい語ってくれた。デートみたいで楽しかった。

案内されるままに、ついていった。徒歩圏内だった。“Silo Park”(サイロ公園)というのはオークランド港の埠頭にある公園で、その名の通り元はサイロだったらしい。

 

“House of Mirrors”(鏡の家)は200円ほどの入場料が必要だった。入場料を払うと、A5判8Pのパンフレットと、A6判40Pの案内の小冊子がもらえた。パンフレットの裏表紙にサイロ公園の略地図が載っていたので、スキャンして貼る。

f:id:watto:20180330205338j:plain


小冊子の裏表紙は “House of Mirrors”(鏡の家)の広告だった。こちらもスキャンして貼る。

f:id:watto:20180329094543j:plain

サイロ公園入口に立っていた門柱。

f:id:watto:20180321100446j:plain

 

鏡の家というのは要するに、鏡を三角柱にずらりと張り巡らせた迷路である。鏡があるのかないのか、一目では判断できない。だからいい大人でも、本気で迷子になることができた。チケット販売員は、本当に困ったら係員を呼んでくれと言っていた。

f:id:watto:20180321101115j:plain

迷路の途中でチェックポイントがあったり、脱出直前に大きな鏡の間に出るなど、いくつかギミックがあった。

ただし自分の姿が写ってしまっているので、あまり写真を貼ることができない。

 

これは出口を出たところの写真で、扉の向こうは三角形の鏡の間である。

f:id:watto:20180321102114j:plain

 

確か出口の反対側。サイロ公園内の様子はこんな感じ。

f:id:watto:20180321102122j:plain

 

サイロ公園には本当に古いサイロが何基かある。その内部を利用して、この日は Peata Larkin 氏という人の作品展をやっていた。こちらは入場無料。

パンフレットのほうのP7の上三分の一が Peata Larkin 氏作品展の紹介だったので、スキャンして貼る。

f:id:watto:20180330205334j:plain

 

マオリの伝統芸術であるトゥクトゥクという織物のパターンに、背後からのLED照明を加えたものだそうだ。

f:id:watto:20180321102325j:plain

写真からだと、LEDで照明されている様子がよくわからないのが、ちょっと残念。

またサイロの内部は、肉眼で見ると写真で見るよりずっと暗かった。

光量が少ないとオートフォーカスがよくないので、写りがよかった写真はあまりなかったが、何枚か貼ってみる。

f:id:watto:20180321102432j:plain

f:id:watto:20180321102623j:plain

f:id:watto:20180321102636j:plain

f:id:watto:20180321102804j:plain

 

サイロの内部はこんな感じ。下から上へと見上げて行ったところ。

f:id:watto:20180321102723j:plain

f:id:watto:20180321102730j:plain

f:id:watto:20180321103023j:plain

最後のが天井。フォーカスよくなくてすみません。

 

外に出ると、光量が多いので写真の写りもよくなった。

前回 に引き続きフクロウ発見。

f:id:watto:20180321103320j:plain

 

台座。

f:id:watto:20180321103326j:plain

 

背景にスカイタワーとサイロという、にぎやかな写真も撮れた。

f:id:watto:20180321103420j:plain

 

イベントの告知がそこかしこにあった。

f:id:watto:20180321103746j:plain

 

コンサートもひっきりなしに行われているらしい。設営準備中のコンサート会場もあった。

f:id:watto:20180321104521j:plain

 

別のフクロウがいた。

f:id:watto:20180321104532j:plain

 

台座。

f:id:watto:20180321104540j:plain

 

“FESTIVAL PLAYGROUND”

f:id:watto:20180321103924j:plain

 

飲食店。講師から「何か飲みますか?」と言われたけど「いいです」と断った。

f:id:watto:20180321104250j:plain

 

天気がめちゃめちゃ良くて、暑かった。“Auckland has four seasons in one day.” (オークランドは一日に四季がある) という言葉があるのだそうだ。

張り合うつもりはないが、ちょうど今どきの日本も、まだ3月にも関わらず天気のいい昼間は初夏を思わせる暑さで、朝夕の肌寒さと対比するとまさに「一日に四季がある」ぞ…ってそれは張り合ってるのか。

f:id:watto:20180321104635j:plain

 

入り江まで歩くと、スカイタワーを絵ハガキのようなアングルで望むビューポイントがあった。

f:id:watto:20180321104733j:plain

 

オークランドには “the city of sails” (帆の街) という異名もあるのだそうだ。

f:id:watto:20180321104758j:plain


スクールからサイロ公園は徒歩圏内と書いたが、サイロ公園からブリトマート駅までは、さらに近い。案内してくれた講師とは、駅で別れた。今回に限らずアクティビティの現地解散は当たり前のようだった。

これが日本だと、こういう時は大した用もないのに一旦スクールに戻って、参加者一人一人に感想を言わせたりする。国民性の違いというものだろうか。はっきり言って日本の流儀が好きじゃない。

スポンサーリンク