🍉しいたげられたしいたけ

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京都に「やみいち行動」の公演を観に行くのに大津から京阪電鉄を利用してみた(その2)

山科というのは交通の要衝で、京都から東に行こうとしたら、あるいは東から京都に入ろうとしたら、この地を踏まざるを得ない。しかし山科自体をじっくり歩いたことはなかったので、このさいどっか見ておこうと思った。

しかし、山科というと、どこだ? 歴史的には山科本願寺というのが有名だが、現存するわけではない。天智天皇の山科陵というのもあるが、さすがに入れてはもらえないだろう。

まあいいやということで、行き当たりばったりに京阪電車を下車してみたというのが前記事のラスト。だいたい神社仏閣それに陵墓など聖地聖域の類は、平地と山地の境界に位置することが多い。貴重な耕地を、生産性のない宗教施設でそうそう潰すわけにはいかない(ただし例外多数あり)。しかるにあまり人里離れたところに位置すると、門信徒や参拝者を集めるのに苦労する(例外多数あり)。つまり山裾とか山懐とか言われるところを目指せばいいはずだ。うまい具合に山科はそれが近い。

前記事の最後に貼った写真の左端に「毘沙門堂」と「山科聖天」という看板が写っていた。とりあえず、そこに行ってみようかなと思った。

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山科駅は山からかなり近いところにある。京阪駅の南側は周囲にビルの立ち並ぶバスターミナルだが、前回の最後に貼った写真がどん詰まりになるのだ。

首を絞めるような京阪線の踏切の北側に、半径の小さいJR駅前のロータリーがあって、その周囲を取り囲むように駅ビルが建っているというのは、ちょっと珍しい構造でしょ。初見だったので構造がすぐには理解できなかったぞ。

歩行者用の南北の連絡通路はあったが、こんなところだった。

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JR駅の北側の出口。

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町内地図。いくら山に近いと言っても、こんな交通至便なところを開発業者が放っておくはずはない。閑静な住宅街が整備されていた。

毘沙門堂に至る道には、毘沙門通りというまんまの名前がついている。

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上掲写真の町内地図の上の方に描いてあった青い川のようなものは、琵琶湖疎水という人口の運河である。現在では運河としての使命は終えているが、上水道としての機能は今でも担っているはず。検索したら、なんと蹴上にある水力発電所(日本初の商用発電所)も現役らしい。

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疎水にかかる橋を超えると、一気に「何かある」感が出てきた。

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境内絵地図。上の写真の左端のほうにも写っている。

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山門前。朱が鮮やか。

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石段が急で、登ったら息切れがした。体力落ちてるなぁ…

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本堂。

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案内書きを接写した。

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文字起こし。

毘沙門堂〔びしゃもんどう〕
 護法山〔ごほうざん〕と号する天台宗の門跡〔もんぜき〕寺院で、春の枝垂〔しだれ〕桜と秋の紅葉が美しい山科の名刹として知られている。
 寺伝によれば、大宝三年(七〇三)に上京区の相国寺の北に創建された出雲寺〔いずもじ〕が起こりと伝えられ、延暦年間(七八二~八〇五)に最澄(伝教大師)が自ら作った毘沙門天を安置したことから、毘沙門堂と呼ばれるようになったという。
 平安末期以降、度重なる戦乱で荒廃したが、天台宗の僧・天海〔てんかい〕とその遺志を継いだ弟子の公海〔こうかい〕により、江戸時代の寛文五年(一六六五)に現在地に再建された。その後、後西(ごさい)天皇の皇子・公弁法親王〔こうべんほっしんのう〕が入寺し、以来、皇族や摂関家〔せっかんけ〕の子弟が門主を務める『門跡寺院』となった。
 正面の本堂に本尊の毘沙門天が祀〔まつ〕られている。左奥の宸殿〔しんでん〕は御西天皇の旧殿を賜ったもので、加納益信〔かのうますのぶ〕の筆による、見る角度によって目や顔の向きが変わる「天井の龍」や、逆遠近法で描かれた「九老之図」などの襖絵が有名である。その奥には晩翠園〔ばんすいえん〕と名付けられた池泉〔ちせん〕回遊式庭園がある。
京都市

 右手の看板も気になったので接写。

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こちらも文字起こし。

御礼並に勧進(継続)趣意
 当山では、平成二十四年二月~同二十五年七月の間、慈覚大師壱千百五十年御遠忌を期して本殿・山門等の修復を発願し、ご来詣の皆様を始めとした各界各位のご法助を得て、山科への移転・再建時を十分に偲ばせる完成を見ることができました。
 当初の計画に加えて大政所、経蔵の保存工事も実施が適い、これ偏にみなさまのご支援・ご助力の賜物と衷心より篤く御礼申しあげます。
 ただ、当山の他施設に於いても経年劣化が進み、殊に門跡の由縁を表する宸殿、霊殿、勅使門並に同高塀は可及的速やかな手入れ・修復に迫られております。とは申せ、多額に上る所要資金を直ちに用意する目処も術も無く、皆様のご喜捨を期間を限らずにお受けし、少しずつ積み立てて参る外に方策もありません。
 つきましては、毘沙門尊天並に当山に御信仰と御親誼をいただく皆様には継続したご協力を給わりたく、謹んでお願い申し上げます。なお、ご奉納の浄財は修復・修繕特別会計に積み立てることといたしております。 合 掌
 平成廿五年十一月吉日
ご来詣各位 毘沙門堂門跡 謹白

今なぜか「5000兆円欲しい」という意味不明のネタがネットで流行っている。ネットの流行りは意味不明のものが多いし、また速やかに忘れ去られるものが多いが。もし私が何かのはずみで5000兆円手に入れたら、寄付や喜捨がアリなのだったら使い切る自信があるぞ。だがもし寄付や喜捨を禁止されたら、5000円でも一旦口座に入れるかな?

 

   *       *       *

本殿参拝だけなら無料だが、参拝料500円を払うと内部に入れる。

いくつかの建物の、かなり広い範囲を歩き回ることができた。ただし見られるのは主に襖絵で、それもあまり保存状態はいいとは言えない。維持、修復のためにも喜捨募集ということだろうか。

これは宸殿と呼ばれる建物の正面。

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宸殿の裏庭に面した縁側に、こんな張り紙があった。えっ、いいの?

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心字池の向こうに見える観音堂。

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庭園の案内板。

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短いけど、こちらも一応文字起こし。

晩翠園〔ばんすいえん〕
 谷川の水を引いて滝を造った江戸初期の回遊式庭園で、雄大な裏文字を形取る「心字」の池に豊かな水を湛え、亀石、千鳥石を眺めながらの座禅石、しかも山裾せまる木立の枝間は暗く、さながら夜目に翠〔みどり〕を思わせるところから、「晩翠園」と名付けられた。

   *       *       *

本殿右手、すなわち宸殿の反対側には、弁天堂という祠があった。

ご覧の通り鳥居が立っている。こういう神仏分離の不徹底なところは、個人的には好きだなぁ。

ただし参拝するときに柏手を打つべきか打たざるべきかで、ちょっと迷うのが難点だ。

撮影は遠慮したが、内部には彩色の鮮やかな弁才天の神像があった。おばさんみたいだった。

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毘沙門堂を西門から出たところに、山科聖天の道しるべがあった。

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振り返って毘沙門堂の西門を見たところ。駐車場がある。

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道しるべに従って山科聖天を目指した。どこがすぐそこじゃ? いや確かに距離は短かったが、坂道がめちゃくちゃ急だった。

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全景を撮りそこなったことに気づいた。急な坂道を辿ってきたので、全景を撮るのに手ごろなスポットを探す余裕がなかったのだ。

案内板から。

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 護法山 双林院 由緒(通称 山科聖天〔やましなしょうてん〕)
当院は毘沙門堂門跡塔頭〔たっちゅう〕の一院である。毘沙門堂は、寛文五年(一六六五)後陽成天皇の勅により徳川家から安祥寺の寺領の一部を与えられ、天海〔てんかい〕大僧正、公海〔こうかい〕大僧正に至って現地に再興された。当院も同年に建立された寺院である。当初、本尊には湖東三山の西明寺より迎えられた阿弥陀如来(藤原時代作「光坊〔こうぼう〕の弥陀〔みだ〕」と称す)を安置するが、のち明治元年に聖天堂を建立し、門主の公遵法親王ご念持仏「大聖歓喜天〔だいしょうかんきてん〕」を賜り本尊とした。
そのほか武田信玄や多くの信徒や寺院から奉納された聖天像を七十数体合祀〔ごうし〕し、願いのかなう霊験あらたかな「山科〔やましな〕の聖天〔しょうてん〕さん」として広く信仰されている。正面には不動堂があり、堂内で大護摩が焚ける、特別な構造をした建築物である。比叡山の千日回峰行者であった第二十四代住職が、明治十六年に比叡山無動寺〔むどうじ〕より勧請〔かんじょう〕された不動明王を安置する。
 (ご縁日〔えんにち〕)
 聖天尊 毎月一日・十六日
 不動尊 毎月二十八日

聖天または大聖歓喜天というのは、ヒンズー教ではシヴァ神の息子ガネーシャ神に相当するはず。破壊神シヴァが誤って息子の首を吹っ飛ばしてしまい、ゾウの首をくっつけて復活させたという、ものすごい神話がある。

そのせいか聖天は屈指の霊力を持つと言われ、参拝者が願っていないことまで察して叶えてしまうと言われる。あかんやん。ちなみに聖天を祀る寺院は各地にあり、名古屋にもある。ただしそこは天台宗ではなく真言宗だが。ホームページを見たら “世間では「聖天様は怖い神様」とか「子孫の七代までの福を一代にとる」とか言われているが、何の根拠もない迷信だから気にしてはいけない” と書かれていて、反応に困った(^▽^;

リンク貼っとこ。「袋町お聖天 福生院」の、サイドバー「お聖天様とは」。

最強の神様がいいんだったら、キリスト教、イスラム教など一神教の神様は、たいてい全知全能なんだけどね。

閑話休題。こちらが山科聖天の聖天堂。山門を入った右手にある。

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山門正面には不動堂というのがある。煙抜きがあるのは、“堂内で大護摩が焚ける、特別な構造” ということだろうか。

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扁額。準提観音(准胝観音)、不動明王、辨才天女(弁才天女)と、これまた霊力強そうな神仏の名前が並んでいる。ただし私は霊感ゼロ人間なので、近年よくパワースポット云々と言われるが、何も感じたことはない。神社仏閣が好きなのは、歴史とか由緒とかをほじくるのが好きだからだ。

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正門を出たら、鳥居があった。ここでも謎の神仏習合。聖天堂と不動堂に参拝するとき柏手を打たなかったけど、よかったんだよね?(誰に聞く?

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(この項続く)