🍉しいたげられたしいたけ

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夏目漱石の「よくってよ。知らないわ」

私が『それから』を通読したのは、わりと最近のことだ。
初めの方の第三章で、主人公・長井代助の家族が紹介される。そのうちの十二歳になる姪の縫について、次のような文章がある。

 縫という娘は、何か云うと、好くってよ、知らないわと答える。そうして日に何遍となくリボンを掛け易〔か〕える。近頃はヴァイオリンの稽古〔けいこ〕に行〔ゆ〕く。帰って来ると、鋸〔のこぎり〕の目立ての様な声を出して御浚〔おさらい〕をする。ただし人が見ていると決して遣らない。室〔へや〕を締め切って、きいきい云わせるのだから、親は可なり上手だと思っている。代助だけが時々そっと戸を明けるので、好くってよ、知らないわと叱〔し〕かられる。

青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/56143_50921.html より。
年頃を迎えつつある少女の地雷原っぷりが微笑ましい記述であるが、「好くってよ、知らないわ」という言い回しが不思議な語感なので印象に残っていた。実際の会話の中にどのように埋め込まれるのか見当つかなかった。
ときに現在、朝日新聞の朝刊では漱石の小説が再連載されているので、ずっと読んでいる。昨年の『こころ』に始まり、この三月で『三四郎』が完結した。四月からは『それから』の再連載がスタートするそうだ。周知のとおり『三四郎』と『それから』そして『門』は、漱石の「前期三部作」と呼ばれる。
『三四郎』終盤の第九十二回(2015/2/16掲載分)に、次のような文章があった。
主人公・小川三四郎の同郷の先輩である野々宮宗八と、その妹の野々宮よし子の間に交わされた会話だ。持ち込まれた縁談をよし子が拒んでいる場面で、この小説の衝撃的なラストを導く伏線になるのだが、こちらは完全に忘れていた。

「さっきの話をしなくっちゃ」と兄が注意した。
「よくってよ」と妹が拒絶した。
「よくはないよ」
「よくってよ。知らないわ」
 兄は妹の顔を見て黙っている。妹は、またこう言った。
「だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかって、聞いたって。好きでもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」
 三四郎は知らないわの本意をようやく会得〔えとく〕した。兄妹をそのままにして急いで表へ出た。

青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/794_14946.html より。
「ははぁ」と得心が行った。古風漂うのは明らかにせよ、会話自体は自然につながっている。この部分から「よくってよ。知らないわ」というセリフだけを取り出して続編の『それから』に埋め込んだのは、漱石の遊び心、今でいうセルフ・パロディのようなものだったのかも知れない。
ただしそう納得できるのは私だけなのかそうでないかと思って、某所に送って活字にしてもらった。
その文章がぐぐって出てくると一緒に身バレもしてしまうけど、幸いネットには簡単に出てくる場所ではないようだ。だからブログにも書くことにした。
まあいつもプライバシー自衛プライバシー自衛と繰り返しているが、仮に身バレしたとしても冴えないジイさんのプロフィールが出てくるだけだけど。
とはいえ今回は、Googleの2ページ目以降にもちょっと念入りに目を通してみた。
そうしたら、この「よくってよ。知らないわ」という言い回しは『吾輩は猫である』にも登場する旨を指摘している人がいた!
青空文庫を検索してみた。
主人公の吾輩の飼い主である苦沙弥先生の細君と、先生の姪である雪江という女学生の間に交わされた会話だ。こちらも完全に忘れている! どういうシチュエーションで交わされた会話かも覚えていない。

「金田の富子さんて、あの向横町〔むこうよこちょう〕の?」
「ええ、あのハイカラさんよ」
「あの人も雪江さんの学校へ行くの?」
「いいえ、ただ婦人会だから傍聴に来たの。本当にハイカラね。どうも驚ろいちまうわ」
「でも大変いい器量だって云うじゃありませんか」
「並ですわ。御自慢ほどじゃありませんよ。あんなに御化粧をすればたいていの人はよく見えるわ」
「それじゃ雪江さんなんぞはそのかたのように御化粧をすれば金田さんの倍くらい美しくなるでしょう」
「あらいやだ。よくってよ。知らないわ。だけど、あの方〔かた〕は全くつくり過ぎるのね。なんぼ御金があったって――」

青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html より。
うわぁ…某所の文章は、こっちを全く踏まえず書いちまったよ。どうしよう? いいけど…

三四郎 (新潮文庫)

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それから (新潮文庫)

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吾輩は猫である (新潮文庫)

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