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【創作】劉禅密勅(後編)

中国史ネタを書きながら高島俊男先生の名前を出す機会がなかったので、この際に。正史『三国志』にしろ小説の『三国志演義』にしろ、私の知識は『三国志きらめく群像』に多くを頼っています。

三国志 きらめく群像 (ちくま文庫)

三国志 きらめく群像 (ちくま文庫)

 

上掲書は『史記』、『漢書』など二十四正史から筆を起こしています。正史というのは「国家公認の歴史書」のことだと書いてあります(P16)。初めから時の政権が正史とすることを意図して編成したものもあれば、個人が作成したものが正史に採用されたものもあります。なお『三国志』は『後漢書』に先だって成立しました(ウィキペによると『三国志』はA.D.280以降、『後漢書』はA.D.432)。

上掲書に限らず『三国志』の時代を知れば知るほど、感じるのは武帝曹操の巨大さです。正史『三国志』でダントツで多くの筆が費やされているのは、曹操の事績です。また曹操は武人、政治家として抜群というだけではなく、同時代最大の詩人でもあり、また『孫子』の注釈者としても知られます。『蒼天航路』の最初のほうで、曹操の書いた詩を読んだ老文官が、心底恐れ入ったという表情で「陛下はどこまでお独り占めなさるおつもりですか?」という意味のことを上奏するシーンがあったと思います(すいません、例によってうろ覚えです)。これはおべっかやおべんちゃらではなく、本音を露呈したものだったろうと感じました。

 このエスキース『劉禅密勅』の時代において曹操はすでに世を去っていますが、曹操の巨大な影は、常に蜀漢帝国を脅かしています。蜀漢の朝野は、かつての始皇帝の秦帝国がもろくも地上から姿を消したように、曹魏帝国の早期の自壊を切望していたことでしょう。

確かに歴史の教えるところによると、どんな強盛を誇った帝国も、いずれ必ず崩壊の日を迎えます。崩壊の形態はさまざまで、それ自体大いに興味を喚起するものです。しかしその崩壊は必ずしも、というより多分ほどんどの場合、それを期待する人々の望みに沿った形では訪れません。むしろ帝国の崩壊を切望した人々の所属する集団のほうが先に滅びることも、ままあるのです。

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数十年が経過します。主人公・陳承は立派な若者に成長しています。しかし蜀漢の国勢はいよいよ衰え、漢中盆地はとうの昔にあっさり魏の手に落ちており、誰もが国家の運命が旦夕に迫っていることを実感しています。

陳承もまた蜀漢に殉じる覚悟を定めています。ある日、陳承のところに、後主・劉禅の側近中の側近である宦官の黄皓〔こうこう〕が訪れ、陳承は劉禅の御前に召し出されます。

そして劉禅が陳承を文官として育成した理由が告げられ、陳承の使命として密勅が下されます。密勅の内容は、この場では読者には明かされません。ただ密命の内容を理解した陳承は、号泣します。

陳承「主上は臣に『生きのびよ』とお命じになるのですね? それは主上に殉じるより、はるかに苦しく難しい仕事ですが、わかりました、臣、微力ながら、必ず主命を果たすことをお約束申し上げます」

劉禅は『三国志演義』以来、一貫して暗君として描かれます。宦官の黄皓も、蜀漢を滅亡に導いた佞臣と解釈されています。しかし私は、事ここに至っては蜀漢の滅亡は歴史の必然であり、劉禅も黄皓もそれをよく理解している人物として描きたいと思います。この物語に悪役は必要ないのです。が、もし憎まれ役を作るとしたら、むしろ蜀漢の国力を理解せず強硬論を主張する姜維や、父祖の功績により特権を享受する諸葛瞻〔しょかつせん〕(=諸葛亮の子)、関統〔かんとう〕(=関羽の孫)、張遵〔ちょうじゅん〕(=張飛の孫)らをそれに充てても面白いかも知れません。

特に劉禅と黄皓には、意図の違いを設定しておきたいと考えます。劉禅は蜀漢帝国と運命を共にする覚悟を固めています。しかし黄皓は、なんとしても劉禅の命だけは助けようと、あらゆる手段を尽くしているとしたいと考えます。

黄皓は、陳承を蜀漢から脱出させる実務も担当します。

陳承「誤解をお詫びしなければなりません。失礼ながら太監(宦官の長官のこと)殿に関しては、よからぬ噂を漏れ承っていました」

黄皓「ほほう、どのような?」

陳承「敵国に金品どころか美女までを賄賂として贈る売国奴、獅子身中の虫と…」

黄皓「陳学士殿、それは決して間違ってはいませんよ。金品を喜ばぬ者はおりません。また魏めは曹操以来、好色の国柄として知られています。しかしかの国が金品より、美女より喜ぶものがあります。何か、おわかりですか?」

陳承「…」

黄皓「才です。曹操の『才を愛すること色を愛するがごとし』の伝統も、かの国には生き残っていると踏みます。才能のある男子こそ、かの国に対する賄賂として最も有効なものであると疑ったことはありませんか?」

すいません、ポリティカルコレクトネス的には不適切な記述が続きます。「はてなブロガー」に限っても、男の私なんか足元にも及ばない才能ある女性ブロガーさんを、何人も何人も知っています。あくまでこの時代の時代的制約ということで、ご容赦願います。

また「太監」「学士」という敬称についても、突っ込みどころはあるでしょうが、エスキースということでこれもご容赦願います。

黄皓「主上のお命を長らえさせるためには、廷臣はみな命をなげうつことはもちろん、千載の汚名を着ることに何のためらいも感じません」

黄皓の聡明さを理解し、かつ黄皓の意図が蜀漢滅亡後も後主・劉禅を生き延びさせることであることを理解した陳承は、次のような問いを発します。

陳承「あなたほどの方が、どうしてそこまでなさるのでしょう…」

陳承の問いには、あなたほどの人がなぜ宦官になったのかという言外の言を含ませたいと思うのですが、それにはどのようなテクニックを用いたらいいのか、現時点では見当つきかねているところです。

黄皓「学士殿は飢えるということをご存知ですか?」

陳承「お腹が空くことですね」

黄皓「お腹が空くことと、飢えることは違います」

       *      *      *      *

陳承は黄皓の段取りに従い、蜀漢を脱出し、魏都・洛陽に向かいます。陳承には前編で述べた謎の「蜀漢の至宝」を詰めた笈を背負った人夫が同行します。「蜀漢の至宝」は、劉禅から下賜されたものです。「金に困ったら売ってもいい」との言葉も受けていますが、陳承はそんなことをするつもりは毛頭ありません。

洛陽に到着した陳承は、魏王ではなく宰相の司馬炎の謁見を受けます。のちの西晋の初代皇帝・武帝です。

司馬炎「承というのは字〔あざな〕だな。諱〔いみな〕を何と言う」
陳承「寿です。陳寿と申します」

笈の中身もここで明らかにされます。

司馬炎「ははは! 蜀でこれを入手するのは、さぞかし大変だったろう。さぞかし大枚をはたかねばならなかったことだろう。しかし洛陽では、さほどの価値はないのだ」

笈の中身は『史記』80巻、『漢書』100巻。ちくま文庫の各8冊とは行きませんが、最新メディアである紙に書写すれば、辛うじて大人一人が背負えるサイズのはずです。

落胆する陳寿に言います。

司馬炎「これらがどんな書か、知らないわけではあるまい。蜀が正統な後継を主張する漢王朝が、どのように勃興したか、最盛期はどんなであったかの記録だ」

一巻を手に取って開きます。

司馬炎「かなり読み込んだ跡がある。おそらく劉禅本人が熟読していたのだろう。蜀漢の至宝と称されるのも無理はない。これがなぜお前に与えられたか、わからぬか?」

司馬炎は陳寿に向き直ります。

司馬炎「これはお前に読め、暗記するまで読め、というつもりで下されたものであろう! その意図を読み取れなかったとは、がっかりだぞ。わしが代わりに命じよう。これはお前のものだ! 読め!」

司馬炎もまた器のどでかい男だったのです。

       *      *      *      *

さらに時は流れます。

洛陽の西晋の官舎で、壮年期を過ぎ老境に差し掛かった陳承いや陳寿は、黙々と筆を走らせます。

筆の先には、桃園における劉備、関羽、張飛の盟が、髀肉を嘆く劉備の姿が、劉備の妃を伴い五関を突破する関羽が、長坂橋頭で敵兵千騎を相手に大喝する張飛が、一命を賭して幼き劉備の一子・劉禅を守る趙雲が、劉備の白馬に乗り劉備の身代わりとして落命する龐統が、そして臨終の劉備の枕頭で号泣する諸葛亮が、次々と描き出されます。

そして全く同じ光景が、時を同じくして所を異にする年老いた劉禅の瞼裏にも、ありありと浮かびます。劉禅は成都陥落時に命を助けられ、現在の北京近郊にあるという安楽の地に諸侯として封じられていたのです。その劉禅に、晋の臣が無神経にも問いかけます「公は蜀にいた頃を思い出すことはありませんか?」

劉禅は即座に答えます「ここは気候も良く、食べ物もおいしい。蜀を思い出すことはありません」

劉禅の密命とは「蜀の物語を後世に伝えろ」というものだったのです。

陳寿は、完成した原稿65巻の巻頭に墨書します。そう、『三国志』と。

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