🍉しいたげられたしいたけ

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読書日記が滞っている

鬱の投薬治療中である。
幸い、薬はよく効いてくれている。ぐぐぐぐっ…と気分が滅入りそうになると、つっかえ棒のように気分がある程度以上(以下?)落ち込むのを食い止めてくれているようなのが、なんとなく体感できる。
しかし副作用のない薬はない。いろいろあるけど、一番困るのは、文字を読んでもすんなりと頭に入ってくれないことだ。
まあこれが本当に薬の影響なのかどうかは、よくわからない。老眼が進行しているからかも知れないし、そもそも脳細胞がすごい勢いで老化しているからかも知れない。
ただ、おととしの年末から去年にかけて、第一期の鬱の投薬治療をやっていた頃にも、似たような体感があったので、薬の副作用を疑っているのだが。
どうしてくれよう。妙案がないので、とりあえずそのまま放っておいている。今年に入って読んだ本は確か三冊。
まあ、ぶっちゃけ本を読まなくても、日常生活にあんまり影響はないのだが。

東野治之『鑑真』(岩波新書)

鑑真という人名を知らない日本人はいないと思うが、一冊の本を読むと、知らないことばっかりだったんだなぁと思う。これはいつものことだけど。
鑑真が日本に招かれたのは、自分で勝手に出家して僧を名乗るいわゆる私度僧が増えたりして混乱している当時の日本の仏教界に、戒律というルールを導入するためだった、というのが教科書的な知識である。
ではその戒律とは何ぞやというと、そもそも仏教の本家であるインドにおいては出家者は俗社会の範疇外にあって法律などの束縛を受けない存在とされており、それでは僧団は無法者の集団となってしまうので、僧団が僧団内部で定めた法律に代わるルールこそが戒律なのだそうだ。本書P11〜12には、釈迦の時代のインドで、自分の罪深さに悩んだ僧が、勿力難提〔もつりきなんだい〕という大刀を持った僧に自分を殺してくれと頼み、結果60人もの僧が勿力難提の手にかかって殺され、それを知った釈迦は「人を殺したり殺させたり死を賛美したり他人に勧めたりした僧は、僧団から追放する」という新たな戒を制定した、というすさまじいエピソードが紹介されている。言葉を変えれば、出家者同士が殺そうが殺されようが、国家は無関心だったのだ。
仏教が皇帝の権力の絶大な中国に輸入されると、僧団はその強権とどのように折り合っていくかに多くのエネルギーを費やすことを強いられたという。そして日本では「本当の意味での僧団」は「成立しなかった」(p15)とまで著者は言い切っている。へぇ!
だから、日本の仏教は本質的には「無戒」なのだということが、本書中ではしばしば繰り返される。鑑真が命を賭けて海を渡り日本にもたらした戒律は、本来の意味では日本に定着しなかったというのだ。だからと言って鑑真のやったことが無駄だったかというと決してそんなことはなく、宗教的にも文化的にも鑑真のもたらした遺産がいかに大きかったかについては、本書の後半で多くのページが費やされているのだが。
これはかなりすごいことを言ってるんだよね。僧団=サンガは、仏=ブッダ、法=ダンマと並んで仏教で最重要の存在とされる三宝(仏法僧)の一つだ。ぶっだん さらなん がっちゃーみー、だんまん さらなん がっちゃーみ、さんがん さらなん がっちゃーみー。それが日本にはなかったし今もないというのだから。また「無戒」を公言する宗派も、浄土真宗を除いて存在しないはずだ。しかし前述の通り本来の意味での戒律とは、治外法権にあるグループが自律的に制定した独自の法律に相当するものであり、日本の僧侶は常に日本の法律に従ってきた存在なのだから、日本流の戒律とはいわば禁煙とか禁ネットとかと同じレベルの、自分に課すルールにすぎない。
話は変わるが浄土真宗と言えば、鑑真は実は阿弥陀仏を礼拝する浄土信仰の持ち主でもあったということが、本書ではしばしば述べられる(巻末索引によればp25、136、150。他にもあったような気がする)。これもちょっと意外。
浄土真宗では法然ら日本・中国・インドの7人の高僧を祖師として仰いでいる。「鑑真は徹頭徹尾、実践と行動の人だったらしく、自分の著書というものを残」(p162)さなかったということだが、もし鑑真に著書があり、その中に阿弥陀仏を賛嘆する箇所が一節でもあれば、真宗七祖は八祖になっていたかも知れないなぁ、なんて考えたりした。
上記、だからいいとか悪いとか言うつもりはさらさらない。仏教に限らず世界宗教は、それぞれの土地で独自の解釈を加えられ受容される。それは発達と言ってもいいと思う。その過程を辿るとき、宗教というものの底なしの奥深さに気づかされて溜め息の出る思いがするのである。
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